2026年6月4日木曜日

白井市30年の雑感

ここへ移り住んでから約30年が経過する。
当時、北総線は開通したばかりで小室~松戸間の運行だった。乗客はまばらで、西白井からでもゆっくり座って通勤ができたものだ。
と言っても、ほどなく白井駅・小室付近の乗客増で休日以外は全く座れなくなってしまうのだが。。。
平成3年3月31日の北総Ⅱ期線開業(京成高砂~新鎌ヶ谷間)までは、松戸で常磐線に乗換えて都心方面に向かっていたわけだが、連日の殺人的なラッシュにはホトホト閉口した。
それでなくとも猛烈なラッシュで有名だった常磐線に、多数の千葉ニュータウン住民が雪崩込んで行くことになり朝の混雑は大変なものだった。
移り住んだのは昭和54年4月で、その年は春の気温が低く、当時の住居近くにあった真間川沿いの桜が中々散らなかった年と記憶している。
それから約30年が経過したのに、生まれ故郷よりも長くここで生活しているのに、自分の故郷は未だ山形県のままだ。白井は何時までたってもただのベッドタウン。仕事々々の生活で足下のこの地域など、全く目に入らない日々だ。
ある日、大きなものに躓いてしまった。苦しくてのたうち回りながら、もう駄目かと思った。
妻に救急車を呼んでもらう。開業間もない鎌ヶ谷総合病院が受け入れてくれたらしい。
急性心筋梗塞だった。
後で分かったことであるが、鎌ヶ谷総合病院は心筋梗塞治療では日本一とも云われる三角先生が院長をつとめる千葉西病院の系列病院であった。病気になったのは不幸だが、この病院ができた直後であったのはラッキーであった。
ベッドで寝返りも許されない状態から、病院内を自由に歩きまわれるまでの12日間を、病院で過ごした。
これが人生の転機になった。定年を翌年にひかえた59歳の年。
先ず、約40年間、最低でも一日40本吸っていた煙草をキッパリやめた。
医師から「タバコはもうやめましょう」と優しくも断り難い強い口調で言われたのがきっかけではあったのだが、踏み切れなかった禁煙を実行に移した。
次も医師に勧められたことではあるが、有酸素運動のため一駅前に降りて歩くようにしたこと。当時、勤務先は大崎であったが都営浅草線五反田から歩くよう通勤経路を変更した。
空しい努力のようではあっても、大学に通う末娘のことを考えると、身体の改善に向けた努力は行わざるを得なかった。
これで、健全な身体に成ればハッピーエンドだったが、残念ながらその後、2度のステント治療を受けることになる。

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