2009年9月13日日曜日

宝珠院観音堂

印西市にある、宝珠院観音堂(国の重要文化財)へ行ってきました。
これ程の文化財なので、案内板や参道はさぞや立派なものと勝手に想定して、
地図も持たずに自転車で出かけました。

目印は、道路沿いの泉倉寺。
この寺は、立派な寺で直ぐに見つかったが
宝珠院観音堂への入口がない・分らない。

一旦通り過ぎてしまい、引き返して来たところ、こんな看板がありました。
写真の向こう側からは、この文字は見えません!



ここが宝珠院観音堂への入り口、すなわち参道です。
ひょっとしたら、よそんちへお邪魔(不法侵入)してしまうのでは?
と、不安になるような道です。






暫くこの細い道を進むと、茅葺のお堂が見えてきました。
漸く、一安心。
「この道でよかったんだ」
人しか通れないような狭い道でした。





境内にはお堂がひっそり佇んでいました。
すぐ近くに、千葉NTの近代的なビル群が立ち並んでいるとは
想像できない様な空間です。
この日は、一時間程この場にいましたが、参拝者は私一人のみ。
この空間を独占できるとは。。。
四方八方から隈なく見ることができ、至福の時間を過ごせました。

以下、スナップを少々。

正面の急な階段下から見たお堂








近くにあった石碑には、次の句が

ふりし世は
 ふりし寂けさ
  降る木の実
       正一

どのような所以のものなのでしょうか?

観音杉

立派な古木でした。

2009年7月6日月曜日

白鷺コロニー全滅記

この町の特徴は、梨と関東にしては珍しいオオハクチョウの飛来地であることと、大規模な白鷺のコロニーがあったことです。
その白鷺のコロニーが、今年で全滅しました。
恐らく、たった一人の執拗な攻撃で営巣ができなくなってしまったのです。

4月半ば市役所に行った際、ガンガンと音がするので、様子を見に行けば、このコロニーのすぐ側にある車止めのガードレールを、一人の男がバールで叩いているのでした。
昨年(2008年)までは巣作りしてきたこの場所ですので、次々に白鷺が近付きますが、その都度ガンガンと脅されるので、木に止まることなく逃げ去っていました。
それでも、その男のちょっとした隙に、10羽前後は巣作りをしているのではと期待をしていましたが、2、3日して再度その場に行ってみた所、見事に1羽もいませんでした。
かわりにと云ってはなんですが、そこには長い竹竿1本と缶ビールの空き缶を沢山吊るした竹竿1本がコロニー付近に置いてありました。
きっと、白鷺が巣作りを開始したものは、下からその長い竹竿で巣を攻撃したのでしょう。また、竹竿のとどかない場所には、缶ビールの空き缶を鳴らして鳥を追い払ったのでしょうか。
その現場は見ていなので断言はできませんが、執拗な攻撃をしたであろうことは想像に難くありません。

このことに対して、市に意見を求めたところ、次の2つ回答を得ました。

(その1)
「市役所付近にサギが営巣していたことは確認しておりますが、近隣住民の方々が長年糞による洗濯物等の汚れと悪臭の被害を受けていた事実があります。
 このようなことにより、被害を受けていた付近住民が協力して自助により追い払うことを決め実行に移したものであり、近隣住民が生活環境への著しい影響を受けた対応として鳥への影響を最小限に抑えた行為であると考えます。」

(その2)
「本件は近隣住民が生活環境への著しい影響を受けた対応として、あくまで営巣地を移す行為であり、鳥への影響を最小限に抑えた苦肉の行為であると考えております。
 行為を止めさせることは、行政として行えるものではなく、白鷺は他の地でコロニーを形成しておりますので、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。」

本回答で疑問なのは
(1) コロニー付近には1軒しかないのに、「近隣住民の方々」とはどの地区の住民なのか。
(2) 白鳥は、シベリヤの大地にも響き渡ると言われる程の大きな声で鳴きます。これを五月蠅く感じ、自助と称して追い払っても好いのか。
(3) 鳥への影響を最小限に抑えた苦肉の行為とすれば、あの竹竿2本をどう説明するのか。
(4) 「白鷺は他の地でコロニーを形成している」のであれば、それは何処でしょう。

以上を、再質問しましたが回答は未だありません。

2009年6月19日金曜日

荒川河口から彩湖へ

今日は、久し振りにすっきりと晴れるとの予報。
準備を整え、予定より若干遅れて5:40に自宅を出発。
この時間はまだ朝霧が立ち込め肌寒いが、急ぎ荒川河口のある西葛西に向かう。





市川市鬼越付近の真間川。
30年前、この付近に住んでいたので、懐かしく記念に一枚。
左右の土手が、要塞のようにそそり立っている。
以前は、小川風の低い土手だったのに。
随分変わりました。




京葉道路を乗越え、新行徳橋、浦安橋を渡り、漸く葛西橋東詰へ到着。
正面の道路を直進し、真正面に見えてくる階段をユルユルと自転車を押しながら登ります。
ヘタレと言われようが何しようが、命あっての物種。
格好など気にせず、安全第一で行きましょう。



葛西橋の途中に、荒川CRに降りることのできる箇所があります。
ここは、中川と荒川に挟まれた中洲のような所です。
写真は、荒川河口(下流)方向を写したものです。
この道を河口方向に進みます。





「河口から0k」地点です。
「戸田橋から2時間30分」のような落書きが見える。
皆のモニュメントなのに、自分だけのもののような落書きはやめませんか!
この他にも、1km単位の距離標の付近に、ゴミが沢山集めらていました。見るに耐えない、日本の現状です。
愚痴はさておき、先に進みます。(7:33スタート)


手前の東西線鉄橋と清砂大橋
昭和53年2月、ここで電車の脱線事故がありました。
原因は「竜巻」によるものと言われています。
その後、何度も電車でここを通過しましたが、風の強い日には事故の記憶が蘇り、緊張して乗っていたものです。




先程の、葛西橋です。
ここから、漸く到着地点より上流に進みます。







上流に進むと、程なく都営新宿線荒川中川橋梁が見えてきます。








その直ぐ上流の新船堀橋です。
7:47ですが、葛西橋にしてもこの橋にしても、通勤・通学でしょうか、徒歩や自転車で渡る多くの人が見えました。






新船堀橋の少し先にある江戸川競艇場。
これまで競艇場と云うものを見たことがなかったので、初めて見る競艇場です。
もう少し大きいかと想像していましたが、以外に小さいですね。
なお、この川は江戸川区内を流れる中川です(念のため)。




江戸川競艇場の少し先に、首都高7号小松川線の荒川大橋が見えてきます。







その荒川大橋の上流にある、新小松川橋と小松川橋です。








左手が新小松川橋、右手が小松川橋です。









JR総武線、平井~新小岩間の鉄橋です。
ここも、好く通勤で利用した所で、今も都心に向かうときは総武線快速で通ります。






総武線鉄橋の直ぐ上流に架かる平井大橋。
8:05 相変わらず、橋を渡る人が多い。







総武線からも見える上平井水門。
中川と綾瀬川の合流地点にあります。
一度は間近で見たかったので、感激しました。







上平井水門の近くにある、かつしかハープ橋の主塔。








ウィキペディアによれば、この主塔の高さは65mだそうです。








東四ツ木避難橋。
サラリーマン人生の、半分近くを通勤電車として利用した京成押上線が、ここよりやや上流を走っています。
満員電車の中から、荒川の下流方向も好く見ていましたが、この橋は見えませんでした。
今日、初めて見る橋です。



木根川橋
この橋は、写真右手方向から毎日見ていましたが、少し上流には国道6号線の橋が2本もあるのに、何故この橋が必要なのか疑問に感じていたものです。





木根川橋のやや上流に位置する京成押上線橋梁
本当に、毎日々々お世話になった鉄橋です。







下の写真は、左が新四ツ木橋、右が上流側の四ツ木橋です。
復路は、この四ツ木橋を写真奥から手前方向に渡り、松戸経由で帰宅する予定です。
漸く、四ツ木付近の橋梁群を通過しました。

堀切JCT(左)と堀切橋(右)


京成関谷~堀切菖蒲園間の京成本線橋梁です。
ここを過ぎ、少し上流に進む。







小菅付近の鉄橋群が現れます。
地図で見ると、下流から
①東武伊勢崎線
②TX(つくばエクスプレス)
③常磐線
④千代田線
の順に並んでようです。


常磐線と千代田線に分かれているのが不思議な気もしますが、北千住・綾瀬間はJRと東京メトロが併行して走っているんですね。

千住新橋(左)と、西新井橋(右)

日暮里・舎人ライナーと扇大橋

日暮里・舎人ライナーは、高速(首都高中央環状線)の上を通過するので、随分高いところを走っています。





江北橋(左)と首都高中央環状線の2層構造の橋(右)

9:00 鹿浜橋着。
何も食べずにここまで来たので、この橋に上って右方向(西新井大師)にコンビニを探しに行く。
天下の環七なので、「コンビニなんか何処にでも」と思いきや、探すと中々無いものですね。
1km以上も先に、漸くセブンイレブンを見つけ、スポーツドリンクとおむすびを調達。
帰宅後、「もし橋の左側に行ったら」どうなったかGoogleマップを見たが、環七沿いには延々とコンビニはない模様。
ここは、自分の判断に誤りはなかった!
川口パブのクラブハウス付近で、先程買ったおむすびを頬張りながら、新荒川大橋を越すのに、この先直進して一般道を横断するか、クラブハウス方向の河川敷へ下りて橋の下を潜るべきか悩む。
このクラブハウスが、ゴルフプレーヤー以外を拒否するように建っているのが、判断を迷わす所以。




すると、河川敷からママチャリの若い女性が懸命に坂を上ってくるではないですか。「こりゃ占めた、河川敷へ下りられぞ」と云うことで、橋の下を潜ることに。これが新荒川大橋です。道も写っています。
しか~し、この道を少し進むと自動車練習場に行く手を阻まれます。
国交省か川口市かは知らないが、何を考えているのか、ここは酷い箇所です。
この箇所を迂回するには、ここを見てください。
(国交省と川口市に怒りをこめて!)

ガードを潜り、漸く摩訶不思議な空間から脱け出し、ホットした気持で振り返る、東北線と京浜東北線の鉄橋。
もう二度と、ここに来ることはないでしょう。






東北・上越新幹線と埼京線の橋梁(左)と戸田橋(右)
土手の上を暫く進むと、右手には戸田公園とかボートコースが見えてきます。ここは、東京オリンピックのボート競技が行われた所ですね。
そのボートコースの西端には、写真の戸田競艇場がありました。
競艇場は未だ嘗て見たことが無かったのに、江戸川競艇場に続き、今日だけで2つも見てしまいました。




反対の荒川に目を転じると、この様な光景が目に入って来ました。
調べたところ、「舵手付きフォア」と云う競技用のボートのようです。
流石は戸田市。ボートが盛んですね。
きつい競技でしょうが、皆さん頑張ってね!





戸田競艇場から、やや上流にある笹目橋です。
ここは、無条件に橋の下を通りました。
しかし、直ぐに舗装道路から草茫々の道になります。
この区間は、河川敷ではなく、反対側の一般道を進めと云うことなのかも知れません。
草は、短く刈り込んであったので、平坦な箇所は走れないことはなかたのですが、これから夏にかけてはどうでしょうか。


この堤防に上る坂道は危険です!
筋状に見える所にタイヤが挟まり、ハンドルの制御ができなくなります。
危険なので、自転車を引いて上った方が安全です。






10:25 目的の彩湖に到着。
河口から約3時間。
写真を撮ったり、寄道したり、道に迷いながらの3時間。
私にしては、まあまあのペースかな。
この幸魂(さいたま)橋には、左岸のCRから直接入れます。
当然、右岸も同じだろうと橋を渡るも、意に反して右岸CRの遥か上を通過し、結構離れた松ノ木島なる交差点まで運ばれる。
はてさて困った。道が全く分からない。
取りあえず交差点を右折すると、「朝霞パブ」なる看板が目に入ったので、その方向に進み、荒川方向に折れる(右折)道路を探す。程なく「台」という交差点があったので、右折する。これがドンピシャ。少し先に、下の水門が。

朝霞水門です。
写真右手からは水門に行けないので、写真左手に迂回するとスロープがあるので、そこを上ります。
これで漸く、荒川右岸に着きました。
後はもう帰るのみ。

10:53 帰路へ


この先、アゲンストが強くて前に進まず、ヨレヨレになりながら四ツ木橋まで下る。
四ツ木橋からは6号線に入り、松戸経由で帰宅(14:40頃着)。
往復120km程のサイクリングでしたが、利根川や江戸川の単調さに比べると、流石都心を流れる川らしく、道路橋、鉄道橋、高速道路等々変化のあるCRでした。
しかし、あの川口市の一角は戴けませんね。ガッカリです。
それに、幸魂橋で左岸から右岸へ渡れなかったのが残念です。
達成感より、疲ればかりが感じられるのは何故でしょう。
本日のコースは、こちら を見てください。

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